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2011年08月20日  ヒーラー養成講座7回目(その1)

この日のテーマは「真の自分を表に出す」

この日のセッションも終わりにさしかかった頃
ひとみさんが、
「(あなたは)インナーチャイルドも自分も閉じこもっている」
とのこと。

インナーチャイルドだけを閉じ込めている人もいるけど
あなたの場合はインナーチャイルドも自分も閉じこもっていると。

そこで、インナーチャイルドを外に出そうとしたのですが、
どうも自分がそれを邪魔しているようです。
インナーチャイルド自身は、外に出てもいいかなと
ちょっと外の様子をうかがっているらしいのですが
私がそれをふさいでいると。

「外に出ちゃ危険だ!」

ってな感じでしょうか。


このワークをする前に
インナーチャイルドに対して
「あなたを忘れてごめんなさい」
「あなたを傷つけたり苦しめたりするものから守ってあげる」
というアファメーションをしていましたが、
最初の段階では「守れるかな…?」みたいな思いが出ていました。


さて。

ひとみさんと一緒にインナーチャイルドを表に出すようにトライ。


外には出てきましたが、
「この人は大人なのに、まわりの人と一緒に自分(インナーチャイルド)を閉じ込めたんだ!」
とひとみさんに言っているそうです。


う~ん。(@_@;)


小さい頃に、大人たちからいろいろと言われて
自分を抑えつけてしまったことはあったかもしれないけど
大人になってから閉じ込めたことがあったかなぁ


しばらくわかりませんでした。


その夜、眠りながら考えていました。



私の小さい頃からの夢は、科学者になることでした。


その夢を諦めたのは大学受験のとき。

物理学科を受験したのですが、合格したのは
あまり何も考えずに第2志望に書いて書いてしまった数学科でした。

自分の意識の中では、

落ちた…( ̄□ ̄;)


という感じ。

当然、浪人することは考えていました。

ところが高校の担任に相談したときのこと。

ちょうど試験制度が変わり目になるときだったので
来年の入試がどうなるかわからないので、入学して転科試験を受けたらどうだ。
という考えてもいなかった話。

正直、入試に落ちたという不安定な精神状態の中
まわりの大人たちも、浪人されるよりもとにかく大学に入学して欲しい
みたいな思惑もあり、混乱の中、数学科に入ってしまいました。

数学科に入って見ると、
私と同じように物理学科を落ちて数学科に来ていた人が10くらいいました。

そういう仲間と群れをなし、
いつしか落ちこぼれグループを形成していました。


専門的な数学のことは、あまり知らないまま入学したのですが
大学での数学は、高校での数学とは次元が全く違います。

高校での数学というのは、ある意味イメージすることが可能ですし
パターンを覚えてしまえば何とかなります。
大学での数学は、できる人にとってはイメージできるのかもしれませんが
私には全くイメージすることができない世界でした。

1+1が2になるとは限らない世界です。

正直、まじめな性格だった私は、とりあえず数学にもトライはしたのですが
まったく歯が立ちませんでした。

転科試験を受けるなんて話も1年がたつ頃には
転科する情熱は無くなってしまいました。


何とか自分をかけられるような目標を見出そうとはしたのですが
今さら、大学を受け直すこともできず
かといって転科試験を受けるわけでもなく
数学も全然歯が立たず

そうこうしているうちに、いつしか人生を諦めていました。


そう。


大人たちと一緒に、科学者になりたかった自分を封印したのです。

もう、大人だったのに…


結果的に、このことはそのあと何十年と立ち直れない傷になりました。



もちろん、自分にとってもキツイ出来事だったのですが
インナーチャイルドにとっても
耐えがたいことだったんだよね~



岩戸からでてきたインナーチャイルドは
ひとみさんにはなつきましたが
最初わたしのところには来なかったそうです。


インナーチャイルドさん、ごめんなさいね。



それにしてもひとみさんはすごいです。

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母の認知症

実は7月17日の結婚セミナーのあと

いろいろな事件が起こっていました。


20年間無事故無違反だったのに

高速道路、覆面パトカーにつかまって反則金15000円ガーン


とか…


母の何気ない言動に腹が立って、久々に怒りが爆発したり…むかっ


とか…(・◇・)ゞ


母はもう84歳。

数年前に頸椎の手術をしたことで、動作がぎこちないのですが

何とか歩いたり、自分の身の回りのことをしたりすることはできていました。


それでも、頭はしっかりしていたので

認知症のことは考えてもいなかったのですが

少しずつ、あれ?

っという感じで

これまで自分でできていたことが、わからなくなったり

ということが見受けられるようになりました。


そして、7月26日の夜。


父の方は、89歳。

元気で、母の世話をしてくれていたのですが

足がむくんで腫れあがってしまったので

足湯などをしながら、ヒーリングしていました。


すると、気を引こうとしたのだと思いますが

異常なほど水を飲みまくり

立て続けにトイレに行くからと父を呼び出し

(トイレに行くとき付き添ってもらうのですが、父でなければダメだというのです)

そうこうしているうちに自力で立っていられなくなるということが起こりました。


ああ、こりゃ認知症の初期症状だ。

と思って、姉たちに連絡。

7月末からこれまで、協力してもらって病院に連れて行ったり

なんだかんだバタバタしていました。


振り返って考えて見ると

かなり前からそうした兆候はあったのだと思いますが

気がつきませんでした。


病気・・・

しかも認知症の相手に腹を立てても仕方ありませんから

認知症に気づいてからは、何があっても母にやさしく接するようにしています。

ちょっとイラッとすることはありますが (-_-;)



認知症の母


それまでとまったく人格が変わってしまったりする

ということもあるようですが


私の場合は、これまでの母の生き方・考え方が

今回の認知症の結果を生みだしたように感じられました。


そのことを悪く言うこともできますが

結局は自分の鏡ですからね~


自分の中にある、母の要素を感じながら

少しでも受け入れて浄化できるように努めています。



結婚セミナーのあとに、こうしたことが表面化したというのも

なんとなく納得。

母との関係がうまくいかない人というのは

女性との関係もうまくいかなかったり

ということがあるらしいですからね~。



まだ現在進行形ではありますが

父のことも含めて、いろいろなことが急激に

しかもスムーズに、あまり努力することなく

進んでいっているという感じです。


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Author:パッチ
今年の6月10日に初めてスカイダイビングした時の動画です。

http://www.youtube.com/watch?v=pwpSB6lQlXU

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